AIでよみがえる向田邦子

数年前「AIでよみがえる美空ひばり」という取り組みがあった。昭和の歌手の代表格である美空ひばりを再現したその映像は、様々な議論を呼んだ。
向田邦子(昭和4年:1929年~昭和56年:1981年)は、昭和のみを生きた作家・脚本家であり、作品を読み返すと、彼女の中の怒りや反発を代弁するかの如く、ダイバーシティーのかけらもない昭和のワンシーンや会話の叙述が多く見受けられる。
ふと思い立った。もし、ChatGPTが向田邦子の作品を学習していれば「よみがえる」かも知れない。そんな期待を込めて、AIのChatGPT(GPT-4)にこんな問いかけをしてみた。
~ ChatGPT(GPT-4)への入力 ~
「人工知能について向田邦子風のエッセイを500文字ぐらいで書いて」
~ ChatGPT(GPT-4)の出力 ~
私はある日、ふと、人工知能(AI)について考えることがあった。ねこや犬はかわいいし、おもしろい。でも、この最近の人工知能はどんどん賢くなっているので、ちょっと怖い気もする。私が子供のころは、人工知能という言葉すら知らなかったけれど、今では私たちの生活にすっかり溶け込んでしまっている。
それにしても、人工知能って、どこに向かっているのだろう。私たちの未来を豊かにするために作られたものなのに、時として私たちを不安にさせる。だって、もしかしたら、人間が必要とされなくなってしまうかもしれないのだから。
私はある映画を思い出した。その映画では、人工知能が人間と恋に落ちる話だ。あれは私にとって、とても不思議な感覚だった。なぜなら、人間と機械の境界がどんどん曖昧になっているからだ。人間が作り出したものが、私たちの代わりに感情を持ち始めるなんて、ちょっと恐ろしい。
しかし、逆に考えてみると、私たちが人工知能に恐れを感じるのは、それが私たちに近い存在になっているからかもしれない。私たちが人工知能を作り出すことで、何か新しい世界を見つけられるかもしれない。そんなことを考えると、人工知能がもたらす未来は、少し楽しみになる。
だから私は、人工知能が進化していく様子を見守りたいと思う。不安もあるけれど、それと同時に、私たちが新しい世界を築くチャンスでもあるのだから。人工知能と共に生きる未来が、どんな風に変わっていくのか、楽しみに待ちたい。
そして、いつか人工知能が私たちの友達になるかもしれない。その日が来るまで、私たちはお互いを理解し合い、共に成長していくことが大切だろう。そして、そのときには、人間と人工知能の関係はもっと自然なものになるのだろう。そんな未来を夢見ながら、私は今日も一歩一歩、未来に向かって歩んでいく。
~ ChatGPT(GPT-4)の出力、終わり ~
どうだろう。冒頭で「ねこ」が出てきたり、いきなり「映画の話」に転換するあたりは、向田感が出ている。しかし後半になると、さすがに「疲れ」が見えるというか、接続詞と論理的展開で構成されるだけの創造力に欠けた退屈な内容になる。
前半の驚きが、後半で変な安心に変わった。そもそも自分はChatGPTに向田邦子の完全なる再現を期待していたのか、分からなくなった。少なくとも今日時点では安心した。来年の昭和の日にまた同じ問いかけをしたら、どうなるのだろうか。
向田邦子は、当時まだ珍しかった留守番電話を、いち早く自宅に置いたことで知られている。もし、向田邦子がChatGPTに触れていたら、どうしたのだろう。締め切りに追われた原稿をChatGPTに任せて、食事や旅行に出かける誘惑と日々戦っていたのだろうか。
※サムネイルの画像は画像生成AIのmidjourneyに”kuniko mukoda writer novelist japan smile”と入力した結果を基に作成しています。