中華料理店店主・真部:経済小説

<この小説は全部読むのに約6分かかります。前編は「安田兄弟:AI小説」>

安田兄弟のいたコンビニの常連の一人に、近くの中華料理店、西華楼(さいかろう)で働く真部(まなべ)という者がいた。

西華楼は中華丼の旨い店で、殆どの客が中華丼を注文していた。その中華丼の鍋を振っていたのが真部だった。

真部は休憩時間になると競馬の予想に滅法強い安田兄弟が働いているコンビニに向かい、競馬新聞を買い求め、安田兄弟の予想を訊いては競馬を楽しんでいた。

安田兄弟のおかげで、真部の収支は毎年プラスとなり、その分は貯蓄に回すことが出来た。真部は、今でこそ柔和な顔をしているが、以前はプロとして麻雀を打つ、所謂、プロ雀士だった。精神と体を削りながら闘う真剣勝負の日々に、このままでは長生きしないと感じていた真部は麻雀から引退し、日本各地を旅した後、得意な料理の力を生かして、西華楼で職を得ていた。そんな中、安田兄弟が退職することとなり、代わりにコンビニには、競馬を予想するAIロボット「学大アンドロイド」が設置されることになった。AIによる予想に懐疑的だった他の常連に先んじて、真部はAIに予想を委ね、当たりを連発していた。

大学で経営学を学んでいた真部は先行者利益(ファースト・ムーバー・アドバンテージ)がもたらす優位性と、プロ雀士の経験から、勝負は踏み込まなければ勝つ可能性が低い、ということを理解していた。真部はAIの予想に大枚を突っ込み連勝を続けたが、常連客の半分が学大アンドロイドの予想を頼りにするようになったところで、突然、大枚を突っ込むのをやめた。

マーケティングの理論で云うところの初期追従者(アーリーマジョリティ)まで一巡したと見るや、先細りを見越してやめたのだった。

それでも、真部の手元には普通では稼げないような大金が残っていた。

勝負師である真部は、ポーカーフェイスの研鑽を積んでいたこともあり、大金を手にしていることは、おくびにも出さず、相変わらず西華楼で鍋を振っていた。

その真部に転機が訪れたのは、西華楼の常連であった老夫婦が駅前の喫茶店をたたむと聞いたことだった。店は、出来れば地元に関係のある人に譲りたい、そんな夫婦に想いも耳に入っていた。

「あの場所で自分の店を持てたら」

真部は悩んだ末、西華楼の店主経由で真部が自分の店を出したいと思っていること、そして現金で駅前の店を買い取る用意があることを老夫婦に伝えてもらった。

金の出所について、真部は、随分前に親の遺産を相続していたことにした。また、決して遺産だけで暮らしはいけないという遺言を守り、今も西華楼で働いているということにした。

その話を聞いた老夫婦は大層感激し、駅前の物件は円満に真部の手に渡ることとなった。

駅前の店を手に入れた真部は店の名前を崇敬楼(すうけいろう)と名付け、西華楼で腕を振るっていた中華丼を提供した。ただ、真部が違ったところは、西華楼で疑問に思っていたこと、「客は本当に中華丼を求めているのか」を愚直に考え、経営に実践したことだった。

西華楼で多くの客が中華丼を注文することは確固たる事実だったが、注文する客には女性も多かった。中華丼は野菜も同時に沢山摂れる食事、それがポイントなのではないかと真部は仮説を立て、野菜の少ない麻婆豆腐丼には茹でた野菜を沢山付けるなど、メニュー開発にいそしんだ。真部の狙いは的中し、崇敬楼は繁盛した。

そして、一般的な街の中華料理店ではビールを一緒に頼んでもらうぐらいしか客単価向上の手段がない中、野菜多めのメニューであれば、客は財布の紐を緩めてくれることとなり、西華楼時代よりも客単価を倍増することに成功した。

崇敬楼は強烈な現金を生み出すキャッシュマシーンとして機能し始め、その元手を使って、真部は駅前の物件を買い集めることとなった。ここでも真部のビジネスセンスは冴えた。他の物件では自身で飲食店を経営せず、テナント業に徹したのだった。崇敬楼と同等の店を一朝一夕に作ることは簡単なことではなく、寧ろ、崇敬楼の集客力に磨きをかけることで周辺のテナント料が上がり、結果、真部の資産が増えることを狙ったのだった。

そして、いつしか真部は地元でも有名な不動産オーナーになっていた。一方、真部は馴染みであるはずの地元で、生活のしにくさも感じはじめていた。物件を取得し収益化していく、ただそれだけのことだったが、買い占め屋として色眼鏡で見る人間が増えてきたのも事実だった。

真部の課題は、一軒一軒の家賃収入を上げることだった。客単価の向上である。その本質は中華料理店の経営と変わらなかった。ただ違うのは、メニュー開発や価格改定ができる飲食店経営と違い、賃貸経営は相場に基づく家賃交渉が付きまとうことだった。理由もなく家賃を上げる訳には行かず、これには真部も苦慮した。

そんな中、駅前に残る複合ビルを譲渡したいという話が舞い込んで来た。

複合ビルを買う資金は十分にある。問題は購入した後に収益に結びつけられるかどうかだ。崇敬楼の集客力にもかかわらず、周辺の家賃相場は伸びが鈍化していた。実際、複合ビルには空きも出ており、供給過多の兆しが出ていた。

「仮に今もっている三軒の建物の収益力を各々1としよう。計3だ。複合ビルを買えば、さらに1増えて、計4となる。ただ、今回の複合ビルは年数も経っているし、ある程度リフォーム等の追加投資が必要だろう。そして、現状の需給バランスを考えると、リフォームしたからといって、家賃を上げるのには無理があると思わないか?買ったからといって4にはならない筈だ。」

真部の話を聞いていた永井(ながい)は頷いて聞いていた。

真部は続けた。

「新聞の株式欄を見ると毎日のように書いてある項目があるだろう。そう自社株の消却だ。市場(しじょう)の株数を減らして、価値を上げている。よく行われている手段だ。一方で、不動産の場合はどうだ?自分の建物や土地を燃やす人間は保険目当てのケースを除いては、まずいない。自分は今回の複合ビルを買い取った後、取り壊して公園にしようと思う。複合ビルがなくなれば、このあたりの不動産は供給不足になる。今もっている三軒の収益力が各1.4になれば、計4.2になる。リフォーム費用もかからないし、公園があれば、周辺の人も喜ぶだろう。」

かくして、駅前には住民の憩いの場となる公園が出来上がった。真部は公園を作った人間として、買い占め屋から一転、感謝される存在となった。

その後、駅前は公園が出来たことで雰囲気のいい場所としてメディアでも注目され、不動産相場は、真部の予想を上回り、1.5倍となった。

真部は寡占状態においては、追加投資よりも、面の縮小が価値の増大につながると気が付いていたのだった。

複数人が協調して値上げすることはカルテルと呼ばれ規制されるが、こういった規制外の価格上昇のメカニズムは、まだまだ存在している。公園の椅子に座り、天を仰ぎながら、真部は次のビジネスについて、思考を巡らせていた。

– この物語はフィクションです