合祀(ごうし)と開眼供養(かいげんくよう)


コトの始まりは平成29年の初夏に菩提寺から、実家に手紙が送られて来たことだった。

菩提寺には自分の祖父・祖母・叔父が入っているお墓(A)があるのだが、その他に祖母の弟のお墓(B)と祖母の親戚筋数名が入っていると云われているお墓(C)もあった。

Bのお墓にいる祖母の弟は日清戦争で戦死したため、親戚の養子となり供養されていたのだが、その親戚も亡くなり、護持会費を納める者がいなくなっていた。

Cのお墓は以前、面倒を見ている血縁の方がいたそうなのだが、今は途絶え、こちらも護持会費を納める者がいなくなっていた。

菩提寺としては、B・Cのお墓は無縁墓となったため、墓じまいの段取りを取ることとなり、念のため血縁のある実家に連絡をしてきたのであった。

そこで、自分がご住職と今後の方針のついて、相談することになった。

ご住職は祖母の存命中にCの墓について聞き取ったことがあり、そのメモが残っていた。そのお墓は祖母のいとこが夭折した際に新檀され、以降、その親族が埋葬されていったとのことだった。その中には自分の高祖母(祖母の祖母)・曾祖父(祖母の父)も含まれていた。

血のつながっている親戚のお墓がそのまま無縁扱いとなるのは余りに忍びないので、何か選択肢がないか考えることにした。

まず浮かんだのは
【1】BとCの護持会費を納める
【2】BとCのお骨をAに納める
であった。

1は世知辛く費用面だけ考えれば、一番初期負担が少ないが後世に負担を残すことになる。

2は苗字の違う親族が同じお墓に同居することとなるのと、BとCの中に納められている骨壺の状態、量によっては、物理的に納りきらない可能性があることが分かった。

そこで、
【3】Aの傍らに石塔を立て、その下に散骨して埋葬する
という選択肢を取ることとした。

方針は決まったが、ご住職曰く、すぐに実施するわけにはいかないとのことだった。まず「無縁墳墓改葬公告」というものを行い、他に縁故者がいないかの最終確認を取ることになった。その期間には1年が必要とのことだった。

時は過ぎ、平成30年の晩夏になっても、縁故者からの申し出はなかった。確認が出来たということで、秋のお彼岸を時期が過ぎた頃に、まず「お骨出し」をすることになった。合祀(ごうし)をする準備のためでもあるが、そもそも埋葬されている骨の量を把握するという意味合いもあった。明治期に埋葬されているものについては火葬の有無さえ分からないからだ。

お骨出しの結果、Cからは骨壺4つと散骨された骨、そして、Bからは立派な骨壺が見つかると思っていたが、意に反して大腿骨の一部と思われるものが一本だけ取り出された。戦死者は骨があるだけでもいいと思わなければならないと聞いたことがあるが、戦争の悲惨さを再確認した瞬間だった。

合祀されるべき骨の量が分かったところで、石塔の大きさと位置について、石材店の方と相談し、提示されたのが、写真の石塔と図面だった。今はCAD(キャド=コンピュータによる製図)を使うそうで、極めてスムーズに製作された。

墓石の発注を行い、完成したとの連絡があったのは平成31年2月のはじめだった。そして、ご住職にお墓の改装にかかわる開眼供養(かいげんくよう)のお願いし、先日、無事、納骨まで終えることが出来た。

ここまで書くと万事スムーズに進んだように思われるかも知れないが、今回、特に気を付けた点はポイントポイントにおける合意形成、ならびに案件発生時からの費用管理とスケジュール管理であった。

お墓に関係する親族は当然のことながら自分だけではないため、方針決定においては合意形成を重視し、「聞いてなかった」ということはないよう配慮した。

次に費用管理とスケジュール管理であるが、これらはビジネスでは当たり前に管理されるものであるものの、仏事においては不文律と遠慮のかたまりのようなものがあり、特に費用においては「全部でいくらかかるか終わるまで分からない」というお願いする側から見ると、若干、尻込みしてしまう構図が存在しているのも確かだ。

そこで今回は、かなり初期の段階で、供養、及び石材や作業にかかわる費用について、あらかじめ「予算感」ということで石材店の方にお伝えしておいた。違和感があれば、その場で反応があるだろうし、反応がない場合でも供養後にお互い違和感が残ることがないだろうと考えたからだ。結果、関係者のご協力を得て、恙なく進めることが出来た。

スケジュール管理については、平成29年の段階で、改元について政府で議論されており「祖母の亡くなった平成のうちに終えたい」ということで進めた。結果、平成3年に亡くなった祖母のお墓の傍らには、平成のうちに祖母の祖母・父・弟を含む親族が、改装という名の引っ越しをしてくることができた。

以上が今回の合祀と開眼供養にまつわる記録である。