クルマでしか行けないカフェ

クルマに再び乗るようになってから、クルマで行けるカフェというものも再び開拓するようになった。駐車場があったり、近くにパーキングメーターや駐車禁止ではない道路があるカフェだ。

2006年に駐車監視が民間に委託され、駐車禁止が強化されてから、クルマやバイクを取り巻く環境は大きく変わったように思う。店の目の前にちょっと停めて珈琲飲むといったスタイルの店には停めておけなくなった。開拓しないといけないのだ。

そんな中、最近のお気に入りは、渋谷区神宮前の「J-Cook」、大森の「CoffeeOkaGarage」、東名高速入口の「スターバックス用賀店」だったりするのだが、一番は相模原市の「ZEBRA Coffee & Croissant津久井本店」だ。ここはクルマでしか行けないカフェだ。

圏央道の相模原インターチェンジを降りて、日当たりの良い道をしばらく流すと背の高い建物が現れる。聞いたところによるとオーナーが都心から50キロメートル前後の場所という条件で探し当てた場所らしい。

もともと工場だったのそこには巨大なロースターが置かれている。説明するまでもなく自家焙煎だ。高い天井の空間と戦うべく選ばれたようなJBLの大きなスピーカーからは、その日の天気に合わせたようにマイケル・マクドナルドの曲が流れている。

計算しているようで、していないかも、いや、とっくに計算済だろう、という空間の居心地がなんともいいのだ。http://zebra-coffee.com/

本郷の六差路

人は多差路を見つけると興奮する。普段見る丁字路や十字路と明らかな差分を感じるからだろう。写真では分かりにくいが、この本郷の六差路は手前・右・右奥・中央・左奥・左と道があった。非常に不自然な六差路であり、元々「何か」あったところをくり抜いた結果であろうことに想像がつく。その「何か」も気になる。国道から小路を入るといきなり現れるコントラストも素晴らしい。 – 東大正門前付近

 

新宿伊勢丹の7階にあったコーヒースタンド

昔、新宿伊勢丹の7階には、カウンターだけのコーヒースタンドがあった。確か、運営はキャピタルコーヒーだったと思う。座席数は20席ぐらい、満席の場合は壁側に並んで待つ、というスタイルだった。自分は買い物途中の母親に良く連れられていった記憶がある。

そこは伊勢丹で働く従業員の方も休憩に来る場所で、皆、当時一杯160円程度だった珈琲を飲んでいた。従って、長話しするというよりは、一服と軽食といった使い方をする人が多く、子供ながら、その独特な雰囲気が好きだった。

自分が好きなメニューはホットドックだった。そして、そのホットドックには、軽く炒めたキャベツとニンジンの千切りが入っていた。今までホットドックをいろいろなところで食べてきているが、キャベツとニンジンが入っているのは、その店でしか食べたことがない。

その店がなくなってからというものの、家でホットドックを作るときは必ず、炒めたキャベツとニンジンを入れるようにしている。そして、それを食べた瞬間にあのカウンターの雰囲気を思い出すのだ。あの雰囲気の店をいつかやってみたいと思っている。

バスの仕切人 A Facilitator In The Bus

家の近くには路線バスが三路線走っており、便利に使っている。そのバスなのだが、電車より車内が狭いが故に、時折バス特有の問題が発生する。

通路の途中で立ち止まり、後ろに詰めない人。奥に詰めるよう運転手さんがアナウンスしても一向に動こうとしない。自分のポジショニングが大事なのか、人の指示を聞きたくないのか、動機は分からないがとにかく動かない。結果、乗りたくても乗れない人が発生する。

二人掛けの席で通路側に座る人、もしくは通路側の席に荷物を置いてガードしている人。自分の席の隣は広いほうがいいに決まっているが、自分の隣よりも他を先に探してね、とメッセージを発している。さらに進行すると座れない人がいても気にしないで、そのままのケースすらある。

ストレスフルな瞬間である。

しかし、ある日、その人はいた。

いつも通りにバスに乗ると、最後部の座席中央に座っている乗客の女性から、おもむろに指示が出た。

あそこに座れ、と。

そして、その女性はバス停に止まる度に車内状況を確認しながら、乗客に対し、座る位置を的確に指示していた。当然、二人掛けの席に荷物をおくような輩も誰一人としていない。

最初はその高圧的にも取れる指示に動揺したが、しばらく乗っていると、その規律を保たれたバス空間が心地よくなっていることに気が付いた。

あのとき以来、路線バスや新幹線自由席での混乱を見る度に「ああ、あの人がいてくれたら」と思うのである。

無人化

コンビニのレジが無人化を目指しているそうだ。人不足の解消手段として、コンビニ各社が連合し、システムを構築するらしい。レジ一台あたり100万円~200万円のコストかかっても開発する意味があるという。

このままの勢いでファーストフードも無人化されていくのであろうか。そういえば、最近は券売機でメニュー細かく指定できる店が増えたような気がする。座席に備え付けのタッチパネルで注文、お会計まで完了する回転寿司店などはその最たる例だろう。

1998年頃、東京・恵比寿の九十九ラーメンの近くにフレッシュネスバーガーの店舗があった。当時の自分は移動にオートバイを使っており、オートバイを止めやすいという理由で、その店を使っていた。

ある日、いつものように食べ終わってトレーを戻しに行くと、「そのままでいいですよー」とスタッフから声かけられた。その声は、仕事だから、マニュアルにあるから、という声とは明らかに違う、優しい声だった。そして、顔を見ると、とてもいい笑顔だった。そして、今思えば、そのスタッフがいるときは、いつもより混んでいたような気がする。

時が過ぎ、その店舗はなくなり、声をかけてくれたスタッフはどこにいるかも皆目見当が付かないが、無人化やAIいう言葉を聞く度に、オートバイを止めてハンバーガーを食べたことを思い出す。

 

マムシグサ

img_0229新千歳空港のすぐ近くにありながら、2016年現在、一日の乗降者数が0~1名と廃止が検討されている千歳線の美々駅(びびえき)。その近くに美々貝塚なる貝塚がある。貝塚にある説明を見ると、5000千年前の当時は平均気温が今よりも2度~3度高く、このあたりも海だったらしい。地図で確認すると現在の海岸線から20キロも手前である。当時の人々も地球温暖化をテーマに対策を考えていたのだろうか・・・

その美々貝塚から帰ろうとすると、遠くに真っ赤な目印のようなモノが見えた。誰かかが宝物を隠した跡か、はたまた事件の痕跡か。気になって近づいて見ると、それは見事な赤い実を付けた植物だった。遠目にはベリーのような甘い実を想像させる。

さらに近寄ってみると、なんだが薄気味悪い。実の根元が真っ黒なのだ。なんだか触るなと言っている気が知る。調べてみたら、マムシグサという有毒植物の実だった。食べると喉に激痛が走り、最悪の場合は死ぬらしい・・・それにしても、なぜこの植物は目立とうとし、そして毒をそなえているのだろうか。そんなことを考えながら、貝塚を後にした。

助川ダンス教室

IMG_3336汽車の車窓から見える海・岩礁、車で通る国道のトンネル・看板。地元に帰って来たことを認識するモノは人それぞれにあるのだろうけれど、現在の自分にとってのそれは、山手線の五反田駅と目黒駅の間にある「助川ダンス教室」に他ならない。

戦後70年の正月に聞いた話

戦後70年、戦中戦後の話を聞くことも少なくなったが、正月にその機会があった。

「海で遭難した人を助けるときは注意しないといけない。手をつかんだ瞬間に死を迎えることがあるからだ。」

その港は日本海側にあった。戦後まもなく、気象情報や航海術が発展していない中、沖合で船が難破することが、よくあったという。

船の異常を知らせる汽笛が鳴ると、村人は救助のために浜に向かう。やっとのことで岸まで辿り着いた船員を助ける時、手をつかんだ瞬間に死を迎えることがある。だから、救助には細心の注意しなければいけないというのだ。

救助された船員を家に迎え、宿として提供した際、その中に船長がいたことは一度もなかったそうだ。船長は船と一緒に沈まねばならない時代だったからだ。

やがて難破した船の積荷が浜に上がってくる。食糧難の時代、大量の鰊やみかんなどを集めにいくのは子供の仕事だったそうだ。さらに、集めたものを盗もうとする輩を見張るのも子供の仕事。

その海には戦争が終わっても海に機雷が浮いており、興味本位で触ってしまった子供が亡くなってしまったこともあったそうだ。

海難、食糧難、そして機雷。今の時代からは想像もつかないが、平和を幸福に思わねばならないと改めて思った。

グッピーとピーター2

その昔は雑誌宝島のVOW(バウ)というコーナーで扱われていたようなハナシではあるが、散歩をしていると、珍名・奇名に出会うことがある。たいていの場合はアパートやマンション名であるのだが、気になって仕方ないのがこの二つのコインラインドリーだ。オーナーは一体、どの瞬間にこの名前を思いつき、命名したのか。興味は尽きない。それにしてもピーター2の左の空き家にはピーター1があったのであろうか・・・

guppy

 

peter

趣味の店

shumi
街歩きをしているとたまに見かけるのが「趣味の店、○○」という店だ。趣味の店というのは、たいてい店主が好きなスポーツやカルチャー、あるいは特定の地域の洋服や雑貨を扱っている場合が多い。いずれの場合も一家言ありそうな店主が店の奥に鎮座していそうで非常に敷居が高く、また、店全体の雰囲気もどこか俗世から離れ、世の中を上から見下ろしたようなオーラを纏っているように感じる。
この神戸の南京町でみつけた店は、その名も「喫茶しゅみ」。喫茶店である。看板を良く見ると、漢字で「須彌」と書いてある。調べてみると「須彌」とは須弥山(しゅみせん)という山の略で、須弥山とは古代インドの世界観で中心にあるとされている山のようだ。
その須弥山の土台となっている部分を金輪際(こんりんざい)と呼び、翻って、物事の最初から最後という意味になったそうなのである。
この「喫茶しゅみ」のオーナーはどのような想いでこの店名を付けたのであろうか。趣味との掛詞なのか、港町の喫茶店という場に金輪際の出会いの意味を込めたのか、はたまた純粋に辿り着くことのない遠くのインドの山に想いを馳せたのか。謎は深まるばかりである。